Under/下

私は、3度の引越しのすえ、現在すんでいるこの場所にきました。
ここは比較的、前すんでいたところよりも交通の便がよく、
駅から徒歩5分でした。
ですから、私は、安心して深夜まで残業をすることができました。
もちろん、もう一つ、ここを決める理由があります。
それは、私の大好きなイチローくんと一緒に住めるってことです。
「ね、イチローくん♪」
そして、私は側に座って私の顔を見つめるイチローくんを見つめました。
彼は、はぁはぁいって潤んだ瞳で私を見つめます。
なんてかわいいんだろう。
「イチローくん。」
私は、ベッドから飛び降りて彼に抱きつきました。
イチローくんは、くぅん、と鼻を鳴らして喜んでいるようです。
尻尾をパタパタと振っていました。
私のかわいい愛犬、イチローくんです。私は、どんなに仕事で疲れていても、
イチローくんの顔をみると癒されました。
彼は、いつでも私を待っていてくれます。
どんなに夜遅くになっても、
飼い主の私のことを、何も疑わず、ずっと待っていてくれるんです。
「ありがとう、イチロー」
そういうと、彼は、私の手をぺろぺろ舐めました。
寝る前は、いつもイチローくんと一緒に寝ました。
彼は、いつでも私を護ってくれます。

ある夜、私が駅からの帰り道、誰かに後を付けられているような気がしました。
振り返っても、姿は見えません。
確かに、私以外の足音が聞こえるんですが・・・
家に帰り着いても、なぜか気持ちが落ち着きませんでした。
この瞬間も、まだ誰かに見られているような、そんな気がしてなりません。
私は、そばにいるイチローくんを見つめて、布団にもぐりこみました。
イチローくんは、相変わらず私の手を舐めて安心させてくれます。
それからしばらくは、何もなかったんですが、
昨日の晩、また誰かに後を付けられている気配を感じました。
振り返っても、やはり誰もいません。
そこで、私は急いで路地を曲がろうと走った時、男が前から現れました。

「キャー--」
私は思わず、悲鳴を上げていました。
そして、その場に膝から崩れ落ちました。
しかし、その闇から現れた男は、
しゃがみこみ、そばに落ちた私のバックを拾い上げて、
私に手渡しました。
「大丈夫ですか?」
その男は私に向かって手を差し伸べました。
「は、はい。」
私は、恥ずかしくなってしまい、急いでその場を立ち去りました。
すれ違うとき、彼が笑っているような気がしたんですが、
鼓動が高鳴っていて、よく覚えていません。

その男と二度目に会ったのは、顧客のところへ資料を届けた時です。
いや、正確には、二度目ではなく、前に何度か会っていたんですが、
彼を認識したのは、その時が二度目でした。
実は、あの晩彼の側を走り去った時に、
どことなく、懐かしさというか、どこかで出会っているような気がしていました。
彼に挨拶をすると、「先日は驚かせてしまったようですみません」、と、
気さくに話しかけてくれました。
「わたしのほうこそすみません。」
そういうやり取りをして、私としては話がはずみました。

「ねぇ、イチローくん。私ね、ちょっときになる人がいるんだぁ。」
そういって、イチローくんに話しかけました。
しかし、イチローくんは、ぷいっと横をむいて、私を相手にしてくれません。
「もう、イチローくん、嫉妬してるの?」
そういって、イチローくんの頭をなでなでしましたが、
あまり機嫌がよくないようです。
こんな時は、イチローくんは、手をぺろぺろしてくれません。

再び、彼にあったとき、やはりというか、なつかしい感じがしました。
いろいろ話しているとき、すんでいる場所が話題になり、
私は驚きました。
彼は、私の部屋の下の住人だったんです。
こんな偶然、あるのかなぁ。
私はとても驚いて、彼をみつめました。
なんだ、ずいぶん近くにいたんだな。
そういえば、あの晩彼とあの場所であったんだ。
きっと、家から出かけたところだったんだ。
私は、彼がなぜあの晩あそこにいたのか、
全く想像すらしていませんでした。
「私のすぐそばに住んでいたんですね!」
私は、もう彼に夢中になっていたのかもしれません。

家に帰っても、ぬいぐるみを抱きしめて、
彼のことを思い出していました。
今頃彼は何をしているのかな?
耳を欹てたら、何か聞こえてくるかも・・・
(もちろん、聞こえてくるわけはありませんが)
そんなことを考えながら、私は安らかな気持ちで眠りに付きました。
やさしく手を舐められながら。

数日後、管理人さんから家賃の引き落としがないとの知らせが来ました。
そういえば、今月はちょっと使いすぎて、銀行にお金を預けるのを忘れていました。
私は、慌てて管理人さんのところにお金をもって行きました。
「すみませーん。」
私は実は管理人さんに会えるのを楽しみにしていました。
むしろ、家賃の引き落としができないように、
わざと銀行残高を少なくしていたんです。
何気なく、彼のことを聞くために。
「あの、私の下の階の人って、どんな人がすんでいるんですか?」
私はニコニコしながら尋ねました。
しかし、管理人さんは、少し怪訝な顔をして私をみつめました。
「あなたの下の住人?」
私は、慌てて首を横にふりました。
「いえ、べつになにかされたってわけじゃないんです。
ただ、どんな人かな、と思って。」
そういうと、管理人さんは、眉を細めていいました。
「あなたの下の階は、今は倉庫としてしか使われていませんよ。」

私は、怖くなり、足早に部屋まで戻りました。
彼は確かに私に、下の階にすんでいるっていったんです。
あれ以来、よく彼にもあいます。
彼が私の下に住んでいないんだったら、うえ?
上の階に住んでいるのかな。
なんだか、きつねにつままれたような気分になりました。
私は、ベッドに腰掛けて、ぬいぐるみをギュッと強く抱きしめました。
そうだ、次彼にあったときにきいてみよう。
私が何か勘違いしてるんだ。
そう思って、電気を消して、眠りに落ちかけました。
ああ、なんだか安心できる。
また、イチローくんが私の手を舐めてくれてる。
やっぱり、私にはイチローくんしかいないんだな。
最近、イチローくんの顔もちゃんとみてないや。
そう思って、私はうとうとしながら電気をつけイチローくんの名前を呼びました。
しかし、イチローくんはでてきません。
「あれ~、おかしいな。今までいたのに。」
そう思い、私はベッドの下に眼をやりました。

私の下に住むオトコ

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