彼女はポツリと言う。
僕はベッドに横になり、壁の方を向いたまま何も答えない。
背中で、彼女の震える肩を、背中を、濡れた髪を、
僕は彼女を全て拒絶したようにノーと答える。
それは、イエスではなく、限りなく100に近いノーだ。
でも、彼女の顔を直視できない僕は、いつものように責任を逃れようとする。
責任から目を剃らそうとする。どこか大人っぽく振舞うあの子。
幼さが残るヒトミは、まだ16かそこらだった。
大きく背伸びをして、化粧をして、早く大人になりたがっていた。
誰よりも大人に憧れていた。
弱い自分を隠して、明るく振舞っていた。
それが本当の自分であるかのように。
「本当の自分って何?」
彼女は、頬にキスをしながら無邪気な笑みを口元に浮かべている。
「今のヒトミは、本物ダヨ。」
そして、ヒトミは少しずつキスする場所を下に移動する。
首に唇が触れ、軽く吸われ、乳首に舌を這わせ、
同時に指先が胸の上をするすると滑るように落ちていく。
僕は、彼女の乳房を、身体を、彼女自身を手の中に包み込もうとする。
柔らかい。今に壊れてしまいそうなほど。
僕は、彼女を優しく包み込もうと思う。心の中で願う。
その思いとは裏腹に、僕の中で彼女を壊してしまいたいと欲望が生まれる。
そして行動する。
彼女の胸をまさぐる手に力が入り、彼女を激しく突き上げる。
できるだけ乱暴に、できだけ荒々しく。
欲望は、いつでも僕を変えてしまう。
欲望で、いつでも僕は変わってしまう。
本当の僕って何?
本物の僕って何?
「好きな女の子がいるんだ」と僕はいう。
とても好きな女の子。
本のだけにすむ妖精。
彼女は何も気にしない。
彼女の反応が僕は気に入らない。
「あなたが同性愛者だろうと、二次元の世界にいようと、
一番の彼女がいようと、ヒトミには関係ないよ。どこがどう違うっていうの?」
彼女の瞳には冷ややかな光が浮かんでいる。
「あなたの心は、いつだってヒトミとは別の何かに奪われていたわ。」
「ヒトミは一番がいいんじゃないの?」
僕は悪戯に彼女に問う。
「これは別。」
僕たちは付き合ってるわけじゃない。
でも、彼女とは身体を重ね合わせている。
彼女から、一度も付き合いたいという言葉を聞かない。
もしかしたら、僕に魅力がないだけかもしれないけれど。
「彼女になったら、何か意味があるの?」とヒトミはいう。
「友達とSEXするのは、まずいんじゃないかな?」と僕はいう。
「SEXするのに、彼女も友達もないでしょう?
お店でするのも、レイプだろうと、合意の上だろうと。」
彼女は首を振る。
「あなたがどういう扱いをするかが問題なんじゃないかしら。
ヒトミは、彼女という肩書きなんていらないわ。」
そういえば、前に彼女の価値観に触れたことがあったな。
オンリーワンよりナンバーワン。
「オンリーワンなんて、ナンバーワンになれない負け犬の賛美だわ。」
彼女は、浮き沈みしている氷をストローで突っつきながら僕にいう。
まるで、言葉の重さを量っているかのように。
「多くの人は、みんな負け犬だわ。
そして、多くの人は、戦わず負け犬になる。」
戦わず負け犬になる、僕は静かに頷く。
「誰もがみな、ナンバーワンになりたがっているのに、
なれないことを恐れている、それも挑戦する前から。そう思わない?」
あるいは、と僕は心の中で呟く。
「傷つくことを畏れている」、と僕は付け加える。
「皆、平等であると信じているから。」と彼女はいう。
「平等だから、やればみんな同じようにできると思っている。
産まれた時の環境、格差、才能。
それが努力で埋まらないということを、みんな知ってはいても認めない。
ナンバーワンを目指せば、努力をすればするほど認めないわけにはいかない。
努力と結果とが結びつかないことを。後悔しなくちゃいけない。
無駄なことをしてしまったと。受け入れたくない、生まれながらの違いを。
自分ではどうすることもできない格差を。」
僕は彼女を見つめる。
「平等ではないのにね。」、独り言のように呟く。
「彼らの求める平等は、愛を語るときのようにとても理想に満ちている。
だけれど、平等は同時にとても残酷さを秘めている。
弱者にとっても、強者にとっても。平凡な、多くの平凡な者の為の言葉だから。」
それとも、と僕は考える。
「多くの戦えない者の為の言葉だから。」
「ヒトミは、戦わないで死ぬより、戦って死にたい。」
ヒトミは、誰にでも簡単に身体を許す。
僕の友達の多くも、彼女の身体を弄んだ。
あいつは好きモノだからな、と友達は笑いながらいう。
そのことを知らなかった僕にとっては、他の友達と同じトモダチだった。
とても仲のいい友達だった。
言わなかったっけ、あいつは俺のセフレだよ、その言葉が僕の耳に木霊する。
---あいつは俺のセフレだよ
その時から、僕の中のヌメヌメとした闇の部分が目覚め始めた。
---あいつは僕のセフレだよ
もともと仲が良かった僕は、簡単に彼女を誘い出す。
目の前には、何もかもが嘘じゃないかと思えるほど無邪気なヒトミがいる。
二人きりになり、彼女にキスをして、ヒトミの中へと入っていく。
彼女は拒んだりしない。
---あいつは好きモノだからな
僕の胸は締め付けられる。ヒトミは声を押し殺して喘いでいる。
男なら誰でもいいんだ、と僕は呟く。
僕の中でスイッチが壊れる。僕はヒトミの中でとけていく。
その瞬間、僕の身体からヌメヌメとした闇が、ヒトミの中へと流れ込む。
ヒトミは僕の首に両手を回し、僕の身体を引き寄せる。
全ての闇をもらさず受けとめるように。
僕の闇を、受け入れるように。
僕は知らなかった。きっと僕の友達も知らなかっただろう。
何故ヒトミはこんなに簡単に身体を許すのか。
何故ヒトミは誰とでも交わり続けるのか。
あいつレイプされたんだよ、とヒトミの友達はいう。
ヒトミが席を外している時に、街で出くわした中学時代の彼女の友達が言う。
あれからすぐに越したからどうしたかと思ってたけど、
結構楽しそうにやってんじゃん、彼女は含みのある微笑を浮かべている。
まぁ、うちらにしてみれば、レイプもエンコーもかわんないしぃ、
パンッ
彼女の顔が鈍い音を立てる。
ヒトミは表情一つ変えずに側に立っている。
僕は、今起こっている事態を飲み込むのに時間がかかった。
何するんだよ!、ヒトミに噛み付こうとする友達にヒトミが叫んだ。
「レイプされたことないやつが、わかったようなことを言うな。」
こんなに感情を露にした彼女を見るのは初めてだった。
一瞬怯んだ友達の髪をヒトミは掴み、顔を殴り、腹を蹴りあげた。
僕は、ヒトミを止め、手をとり、そのままその場から逃げ出した。
その時のヒトミは、いつもより幼くみえた。
二人で家に戻り、ぜぇぜぇ息を切らしている僕に彼女は言う。
「祭りの夜に、やられたんだ。」
僕は彼女にかける言葉を捜したけれど、何もみつからない。
どんな言葉も、無意味な気がした。
僕は知らなかった。知らないままの方がよかった。
ヒトミはレイプされ、妊娠した。そして中絶した。
ヒトミはまだ若い。
それなのに、彼女は何百人という男たちに身体を提供した。
それは、レイプが自分にとってそんなにたいした問題じゃないと主張するかのように。
誰とSEXしたって変わらないと主張するかのように。
彼女の身体は、少しずつ、しかし確実に蝕まれていく。
すでに、3度の中絶を繰り返した。
そして、彼女は僕にぽつりという。
「妊娠したみたい。」
僕の心臓が激しく高鳴り始める。
まるで、槍を心臓に突き刺されて、そのまま後ろに貫かれるような感覚。
僕の心音は加速する。
唾をゴクリと音を立て飲み込む。
「きにしないでね。」
彼女はポツリと言う。
僕はベッドに横になり、壁の方を向いたまま何も答えない。
背中で、彼女の震える肩を、背中を、濡れた髪を、
僕は彼女を全て拒絶したようにノーと答える。
それは、イエスではなく、限りなく100に近いノーだ。
でも、彼女の顔を直視できない僕は、いつものように責任を逃れようとする。
責任から目を剃らそうとする。
「いつものことだから。」
ベッドのクッションが彼女を静かに支えている。
一番近くにいる僕が、彼女を一番傷つけているんだ。
ヒトミは一人だった。僕と一緒にいる間もヒトミはずっと一人だったのかもしれない。
いつものことだから、その言葉は僕に向かっていっているのだろうか。
それとも、自分自身に言っているのだろうか。
きにしないでね、僕はその言葉に縋ってしまう。
何もかも嘘であればいいと思う。
そして、僕は消えてしまいたい衝動に駆られる。
僕はあれ以来ヒトミとあってはいない。
妊娠していたのか、中絶したのか、僕は何もしらない。
今になって、ヒトミについていろんなことが理解できる気がする。
どこか大人っぽく振舞うあの子。
幼さが残るヒトミは、まだ16かそこらだった。
大きく背伸びをして、化粧をして、早く大人になりたがっていた。
誰よりも大人に憧れていた。
弱い自分を隠して、明るく振舞っていた。
それが本当の自分であるかのように。
そうあり続ける必要が彼女にはあったんだと思う。
そうあり続けなければ、彼女は何かに押しつぶされていたんだと思う。
彼女は、いつでも本物の彼女だった。
僕の前でも、誰の前でも。
僕の中の、暗い闇はもうどこにもなかった。
ヒトミと一緒にどこかへ消えてしまっていた。
変わりに、僕は別の感情に支配され始めようとしていた。
その感情の名前を、僕はまだ知らない。