淡い夢の果てに

消えぬ思い

これは、おれがあいした最後の軌跡。
最愛の妻がなくなる、そのときの出来事。
俺の名前は、慶蔵。
あきこ、いままでありがとう。

あれは、あきこのそばにいるときだった。
きゅうに、ひとみからなみだがこぼれおちているのをみた。
「どうしたんだ?」
あきこは、俺の顔をじっとみつめている。
ぼそぼそっと、なにかつぶやいたきがした。
「なんだ?」
あきこは、ぼぉーっとしている。
俺はそっと涙をぬぐってやった。
手をずっとにぎっていると、やわらかい指がちからなく俺の手をつかむ。
そっと髪の毛をなでてやる。
あきこは、かるく瞬きをしている。
どうして、おまえがさきにくるしむことになるんだよぉ。

ゆびのちからがなくなってきている。
だいぶよわってきている。
「おい、しっかりしろ」
そんな声をかけても意味のないことはわかっている。
逆に、ゆっくりさせてやるのがいいのかもしれない。
しかし、俺にはそれができない。わかっていても、生きていてほしいと望んでいる。
「あきこ、あきこ」
あきこは、少しいやいやをしながらくびをふっている。
どうしてだ?どうして、そんなにすぐにあきらめる?
それでも、あきこはかなしげな目で俺をみている。
おまえがいなくなったら、俺は。
あきこの瞳は、焦点があっていない。
少し、あきこの顔がゆがんでみえた。
どうやら、俺はないているようだ。

おまえとの出会い、あれは20のときだった。
あのときおまえにであって、俺はかわったんだ。
家を継がずにふらふらしていた俺は、生きていることに何の意味も生み出せなかった。
ただ、好きなようにいきて、死ねばいい、そう思っていた。
しかし、あのとき、血だらけになった俺を介抱してくれたおまえをみて、
俺は死ぬのが怖くなった。
いきたいと思ったんだ。
だから、これまでまじめに生きてくることができた。
型にはまった生活を、苦もなくすごすことができたんだ。
それなのに、おまえはいなくなろうとしている。
おれは、おれは。。。

「あなた、、、慶蔵さん」
おれは、じっとあきこのいうことをもらさずきいていた。
「私はね、あなたと出会えて本当によかったの。」
そんなこと、ゆわなくてもわかってる。
そして、しばらくじっとしていた。
「私は、もう、、、、」
そういいかけたときは、俺は指をあきこの口にかるくあてた。
もう、それ以上はいうな。
いわないでくれ。
たのむ。

あきこがなにをいおうとしていたのか、俺にはすぐにわかった。
あきこ、あきこ、あきこ。
そうやって、おれはじっとあきこの顔をみつめている。
おれは、あきこを軽く抱きしめた。
もう、ずいぶんかるくなっていた。
そのかるさが、俺の心には、とても重く感じられる。
目から涙があふれでている。
もう、言葉がうまくでてこない。
「あきこ、いまでもかわいいよ。」
おれは、泣きながらささやいていた。
「けいぞう」
あきこは、軽くほほえんでいるようにみえた。
「あきこ、おまえだけをいかせはしない。俺もすぐにあとをおう。
だから、しんぱいするな。おまえはもうひとりじゃないんだ。」
あきこの指が、そっと俺の背中をつかんだ。

あいしてる

みみもとにいまでものこっている。
最後の言葉。
そして、あきこ、おまえはもう二度とおれをみてくれはしなかった。

エピローグ

次の日、俺は薬品を飲んであきこのあとを追った。
しかし、死ぬことにはなんのためらいもなかった。
逆に、あきこにあえると思うと、快楽さえ覚えた。
家族には申し訳ない。
しかし、家族よりも大事なものなんだ。
いつか、きっとわかってくれるだろう。
死ぬことが結果じゃないんだ。その先の、みえない部分。
そこに達したとき、俺の行為を理解してもらえると思う。
いつか、もし本当に人を愛してしまったとき、そのときは、きっと理解できるだろう。
いま俺は、あのころのあきこと一緒にくらしている。
俺も、あのころのままだ。
別に、老いたままでもいいんだけどな。
出会いは、おれがちんぴらとなぐりあって、血だらけになったあの日だった。
そう、過去のあの日とそっくりだ。
おれは、ベンチでよこたわり、めをつむっていた。
そこへ、濡れたハンカチでそっと血をぬぐってくれた。
俺は目をひらいた。
そこにはおまえ、あきこがいたんだ。
あきこは、俺を抱えると、そっとだきしめた。
そして、みみもとでささやいた。

あいしてる

夢の続き

めまいがする。夢見心地。
まだ、ぼんやりする。いま、みていた夢も、もう覚えていない。
どんな夢をみていたのだろう。
となりをむくと、享子がいる。
どのくらい長い間、享子と一緒にいるのだろう。
俺のことは、空気のような存在なのだろうか?
昔から、あまり会話はなかった。
2人で旅行なんて、新婚旅行以来だな。
あのときも、ここ、京都にきたんだった。
あの日もちょうどいまのように雨がふっていたんだ。

「ねぇ、でかけるの?雨が降ってるのに。」
享子は少し不機嫌そうだった。
彼女は雨があまり好きじゃないみたい。
俺だって、雨なんてすきじゃあないさ。でも、いまこの部屋に享子といると、
息がつまりそうになってしまうんだ。
まだ、きみのことをよくしらない。
おれがきみのことをしろうとしてないだけなのか。
「さいぞうさん、もうしばらくすると、雨もあがるんじゃないかしら。
そしたら一緒にでかけましょうよ。」
彼女なりに気をつかってくれる。

享子との出会いは、親同士によるお見合いだった。
といっても、断れるはずもなく、しかたなく結婚したという感じだった。
親のいうとおりにすれば、なにも不自由ない暮らしが手に入る。
しかし、本音では、どうしようもなかったんだ。
断る理由もない。本当に好きな人なんか現れるはずもなかったんだ。
お金で手に入らないものはなにもなかった。
ただ、それでおれの心は麻痺していたのかもしれない。
本当に人を愛するなんて、そんなこと俺にはないと思っていた。
「享子はまだゆっくりしてていいよ、俺はちょっとふらふらしてくるから。」
そういって、俺は作り笑いで微笑んでみた。
きっと彼女もそれを望んでいるんだろうって。

少しこぶりになってきた。
ホテルで赤い傘をかりた。情緒ある、なんて俺らしくないことを考えてみた。
まちを歩くと、だんごやさんがあった。
おれは、そこでとりあえずくつろぐことにした。
「どうぞ」
おちゃをくれた女主人は、とてもきゃしゃだった。
「お一人ですか?」
俺はなんとなくたずねてみた。
「はい、夫に先立たれて。」
俺はきいてはいけないことをきいたようだ。
しかし、いまさらどうすることもできない。
「そうですか、それは大変ですね。」
「そんなこともないですよ、主人のご両親がよくしてくれるので。」
「そうですか、いごこちはよろしいんですか?」
「はい、とてもかわいがってくれてますから。」
この人は、幸せなんだろう。
きっと、とても愛されているんだな。死んだ夫にも。
この人には本当の愛がわかっているんだろう。
「ごちそうさまでした。」
「またいらしてくださいね。」
彼女の視線を感じながら、俺はその場をあとにした。

あたりをふらふらしていた。まだ少し雨がぱらついている。
ふと、大きな傘をめにした。
「この傘、うつくしい。」
デザインが、とても目に鮮やかだった。
「どうです?」
おじいさんがおれにたずねてきた。
「とてもすばらしいですね。おじいさんが作られたのですか?」
「そう、先代から受け継いでいます。私の代で5代になります。
また、これからも受け継がれていくでしょう。」
俺は、ちょっと関心してしまった。
やはり、機械作業で作られるものよりも、手作業によるものの方が暖かく感じられるのだ。
「この傘、一本ゆずってもらえませんか?」
おじいさんは、少し考えていたけど、快くゆずってくれた。
「ありがとうございます。」
なぜか、享子にもこの傘をみせてやりたい気持ちになっていた。

だんだん雨が激しくなってきた。
俺は雨宿りのために近くの料亭にはいってみた。
そこは、小道の奥の方にあったのだが、どうやら迷っているすえにたどり着いたようだ。
ガラガラ
「すみません、ここは一見さんお断りなんです。」
「あ、すみません。」
「え?」
俺は、一瞬止まってしまった。
その女性の顔が今でも心に残っている。

月明かりが障子越しに部屋を照らしている。
あんなに雨が降っていたのが嘘のようだ。
いま、彼女は浴槽にいる。
俺は、たばこをふかしながら外を眺めていた。
少し胸が痛いのは、享子のせいか。それとも・・・
トントン
あやかは軽く扉をたたくと、そっと部屋に入ってきた。
暗闇に月に照らされたあやかの躰はなめらかな曲線を描いていた。
彼女はそっと俺のもとへすべりこんだ。
あやかは俺の顔を見ている。
「不思議だね」
俺は軽くつぶやいてしまった。本当の気持ちなのだ。
「そうですわ。不思議です。」
あやかはそういって、外を眺めている。
「あなたをお店で拝見したとき、私は何かを感じました。」
彼女は俺に軽く唇を重ね、こういった。
「もしかしたら、お月様の悪戯かもしれませんわね。」

俺は今日までどの女も同じだ、と考えていた。
顔やスタイルは、好みが多少出るものの暗闇の中で抱いてしまえばほとんど同じだ。
だが、この女は他の女達とは少し違うようだ。
何が違うのか理由を述べろといわれると難しいのだが確かに違うのだ。
この女の言うとおり、月の悪戯なのか?
”LUNATIC”という言葉は確か”月”という語源からきているはずだ。
月の美しさは人間の狂気を誘うものなのだろうか。
先ほどまで、激しい雨がふっていたのに何故か月が普段より美しくみえるのは、
この女の悪戯なのだろうか。

初夜だというのに、俺はなんということをしてしまったのであろうか。
享子には申し訳がたたないが、こうなってしまった以上は仕方があるまい。
しかし、享子とて俺とベットを共にすることなどのぞんではいないのだ。
もともと、親同士が決めた結婚なのだ。所詮は紙の上の契約にすぎないのだ。
俺は、深夜に旅館に辿り着いた。すでに享子は眠っていた。
しかし、俺が布団に入ろうとするや否や「遅かったんですね」とはっきりした声で俺に話しかけてきた。
享子は起きていたのだ。
「雨宿りをしていたんだよ」
「どこの露に濡れてきたことでしょう」
といって、寝返りを打った。なにもかもお見通しなのだ。

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