セル

すべてを手に入れた
次はなにを望もう

「セル」

彼の部屋に潜入した
あいつは、まだ俺の存在に気づいていない
そっとのぞいてみた
今から消える命の重さなんて、俺にはわからない
この感情だけで俺は動いているんだ
でも、ただ殺すだけなんて意味がない
せめて、あいつが目覚めた時に、すべてを終わらせてやろう
「すべてを終わらせてやろう、ですか?」
俺は、一服しながらやつの目をみた。
日下は、俺の担当だが、どうも俺とは馬が合わない。
「僕は、先生の『消えた太陽』が好きなんですけど。」っていうのが口癖で、
いつもあの話ばかりする。
「先生の作品って、内面から絡め取るのが多いですよね。
さすが、臨床心理士をなさってるだけあって、
読者が先生の世界に吸い込まれていくのがよくわかりますよ。
先生、これからもよろしくお願いします。」

俺は、よく先生と呼ばれている。
仕事上、先生なんだが、基本的に「先生」という言葉は好きじゃない。
「先生」と呼ばれる職業にまともなやつはいない。
政治家、医者、弁護士。
俺は、そういう肩書きで働いている訳じゃない。
当然なことをしているだけなんだ。
そう、俺のことを呼ぶのなら、由真と呼べばいい。
それ以上の敬はいらない。
暇つぶしに始めた書き物。
それが、俺の穏やかな日々を壊すことになるとは。

この世になにを望んでいますか?
あるクライアントが俺にこう質問した。
俺には、もうなにも望むものはない。
「そうですね。愛ですか。」
はははと笑っておいた。
クライアントは、少しうれしそうに俺にいった。
「先生に聞いてよかったです。」
彼女はその場を後にした。
不思議に思うことはなにもない。
自分がみせることと、本心は同じではない。
クライアントのためになるのなら、彼らが望む答えを用意してあげよう。
言葉なんて、なんの意味ももたない。
そう、無用なのだ。

お金も、地位も、名誉も、女もなにもかも手にいれた。
これ以上、なにを望めばいいというのだろう。
もう、働かなくても生きていける。
これ以上、なにを増やせばいいというのだろう。
俺は、なにを望んで生きているのだろう。
満たされた生活、そして虚無感。
多くを手に入れた俺は、同時に多くを失ってしまったようだ。

夢をみた。
目の前に山がある。薄暗い。暗闇があたりを包んでいる。
山の上の方が赤くなっている。
なんだろう。
立ち止まった。
赤いものが少しずつ流れ始めている。
そう思ったとき、その赤いものが俺の方へ流れ出てきた。
俺は、逃げた。
山が噴火したんだ。
はは、俺は逃げたのか。
もう、この世になにも望むものはないと思っていたのに。
命を失うことをあんなにもおそれていたとは。

いろんなクライアントがくる。
俺は、すべてに対して平等じゃないようだ。
彼らが望むことを達成するアドバイスを与えているだけ。
でも、すべてが俺のいうことをきくわけじゃない。
中には勘違いしてるやつがいる。
忘れていた。
言葉が通じるかどうかというのも、とても大切なことなんだ。
相手がどこまでわかったかは、俺にはわからない。
が、わからないことを俺にいわずに、勝手に解釈するのは最悪な結果だ。
そして、あいつもその一人になってしまったのかもしれない。

「加藤さん、事件です。」
休みの日に仕事が入るなんてなぁ。
せっかくご機嫌取りしてたのに。
「わかった。今からいく。」
この車も俺と同じに年をくっちまったなぁ。
そう思いながら、俺は現場にかけつけた。

「ちっ、なんだよこれ。」
そこは、首から上だけがなく、その場所には、
マネキンの顔をとりつけてある体が転がっていた。
「大下、報告しろ。」
後ろにある大きな鏡を見たとき、そこには俺が写っていた。
鏡の中の体は、まだ生きているように、うごめきもがいていた。
・・さん、・・藤さん、
「加藤さん!!」
「ん?なんだ?」
「どうしたんですか?ぼーっとしてましたよ。」
「あ、ああ。」
なんだったんだ。今のは。
大下がその場を離れたとき、俺の胸がつまるような思いがした。
そこには、大きな鏡が、俺たちを写し出していた・・・

「加藤さん、これって。」
さっきまで、ただの汚れかとおもっていたが、
大きな鏡に反射して、俺たちの後に大きな文字が浮かび上がった。
「カ?か。」
「そうですね。なんでしょう、これ。」
「偶然じゃなさそうだな。」
そして、それはあとで気付くことになる。
全てが一つにつながっているということを。
始まりは、「カ」。そして、次は、「ラ」。
最後には・・・
「加藤さん?さっきからどうしたんですか?」
「いや、なんでもない。なぜか、この場面を以前みたことがあるような気がしてな。」
「デジャヴってやつですか?」
「そんなんじゃないと思うが。」
そして、俺達に新たな事件が起きたと伝わってきた。

う・・・、これは。
「加藤さん、これ東山の事件と同じなんじゃ?」
足立の現場にきた俺たちは、さっきの現場と同じ光景を目の当たりにした。
部屋の作りは違うが、ある一室だけ、家具が同じような配置になっていた。
なぜか、遠くでからすの鳴き声が聞こえてきた。
「大下、おまえこれをみて何か気づかないか?」
大下は、周りをきょろきょろ眺めてこういった。
「え、さっきの事件と同じってことですか?」
俺は、ゆっくり首を横にふった。
違う、そういうのじゃない。
なんとなく、なにかと一致するんだ。
「あ、さっきゆってたデジャブみたいな?」
こいつの相手をしていてもしょうがない。なんだ、この感じは。
現場に残っていた文字は、「ラ」。

次の日、俺たちは、とうとう3つ目の事件を扱うことになる。
そう、その現場も、同じような状況だった。
マネキンの顔は、怪しく俺をのぞき込んでいる。
その現場には、「ス」という言葉が残されていた。
「今度は、『ス』か。」
「え?なにが『す』なんすか?」
俺の口から自然とこぼれ落ちた。
「なんだ?」
今度は「ス」?どういうことだ。
「加藤さんがおっしゃったんじゃないですか。」
いやな感じだ。
現場についたとき、俺たちはある種の錯覚に陥った。
そこには、「ス」という文字が残っていたのだ。

「加藤さん、どういうことなんすかね?」
俺にもどうなっているのかよくわからない。
不思議な感覚におそわれる。
「これって、カラスってよむんすかね?」
烏・・・
どういうことなんだ。
・・・鴉?!
「そして、それはあとで気付くことになる。
全てが一つにつながっているということを。
始まりは、『カ』。そして、次は、『ラ』。
最後には・・・『ス』か。」
「加藤さん?」
「思い出した。鴉だ。以前読んだことがある。
どこでよんだのか忘れたが。
おまえ、ちょっとそれを探してこい。」
これが、俺とあいつとの戦いの始まりになる。

「先生、最近事件多いですねぇ。世の中怖くなりましたねぇ。
今日なんか、男が小学校にナイフをもって、生徒や先生を襲ったそうですよ。
重軽傷多数だそうです。こんなやつ、死刑にしてやればいいんですよ。」
「松本さん。人それぞれですよ。
ニュースだけで、すべてを鵜呑みにするのは危ないですよ。
真実がいつも伝わっているとは限らないんですよ。」
「だったら、先生は、この犯人を許すんですか?」
松本は、キッと俺の目をにらんだ。
「そうともいえませんね。自分の意見をいうのなら、
その現場、人間関係、そういったことを知らないといえないものですよ。
目に映ることを、すべて正しいとするのは、簡単ですから。」
話にならないというような表情で俺を睨む。
「そう、なにが真実かを見極めることは、普通の人には無理だろう。」
あの人なら、きっとこういうかな。

そう、最近本当に犯罪が多い。
特に、ナイフでの犯罪が。
一時期バタフライナイフを使った事件が流行ってたが、
最近でも、ナイフで事件を起こすやつはいくらでもいるな。
小学生が、いじめられた腹いせに相手をさしたり、
ニュースで取り上げられた事件をまねしようとしたり。
やはり、人からうける影響力はかなり大きいようだ。
暗く、深い部分を刺激することの方が、人は動きやすいということか。

よく価値観について聞かれることがある。
でも、その言葉からもわかるように、「観」であるから、
どのようにでもいえる。
そういったものをきいても、自己満足か、反発するかのどちかでしかない。
最近、なにが悪いのか、その「悪」について本当にわかっているのだろうか?
悪いことをまねすることで、なんらかの「満足」を得ているのだろう。
ふと、すべてのことを忘れて、人と純粋にふれてみたいと思うことがある。
汚さや、駆け引き、内なる悪の部分をのぞいて・・・
そんなとき、俺は、すごく孤独を覚える。
多くの人は、もう、この暗闇に包まれた世界に慣れ親しんでいるのだから。

郵便物が、届いた。
とても無愛想な、配達員。
帽子を深くかぶり、胸には「木村」というバッチをつけていた。
いつもの癖で、どうも人のことを観察してしまう。
ふつうにサインをして、荷物をうけとった。
なにもいわずに立ち去った。
なんとも無愛想な男だ。
包みをみた。
差出人は、いつも俺の手伝いをしてくれてる松島からだ。
びりびりと包装紙をやぶった。
ちょっときついにおいがした。
中には、人間の顔と、血塗られたナイフが入っていた。

頭の中に、一瞬にしていろいろなことが駆けめぐった。

松島くんがこんなことをする?
いや、そんなはずはない。彼女はよく働くし、それなりにいい関係を保ってるはずだ。
じゃあいったいだれが?
俺は、そんなに恨まれているのか?
まてよ、さっきの配達員。
あの服は・・・いや、あれは確かに制服だったはずだ。
よく俺に荷物を届けてくれる会社だったし、
クライアントの中にもあそこの社員がいた。
・・・そういえば、最近制服が売られているということを聞いたことがある。
看護婦とか、スチュワーデスとか、そういったやつ。
そういうものなら、わからない。
あいつの名前は、そう、木村。
あの無愛想なやつがあやしい。
帽子を深くかぶってたからあまり気にしなかったが、
あれはもしかして、俺に顔をみられたくなかったのか?
もしかしてあいつは、俺のしってるやつか?

そして、俺は運送会社に電話をする。

「もしもし?そちらに木村って人いるでしょ?」
しばらくすると、木村本人がでてきた。
「はい?なんでしょう?」
え?
・・・
しばらく沈黙が続いた。
「きみ、本当に木村さん?」
「はい、そうですけど。どうかしました?」
「ほかに木村って人はいないんですか?」
「はい、木村は僕だけですけど。」
なんとなく違和感を感じていたのはこのせいかもしれない。
「あ、松本くんいる?」
「はい、ちょっとまってくださいね。」
しばらくすると、松本支店長につながった。
「ねぇ、松本くん、今木村って人に変わってもらったんだけど、
本当に木村くん本人だった?」
彼は俺が妙なことをいっていると思ったんだろう。
「確かに、木村だったが、どうかしたのか?」
彼がいうのなら、間違いない。
「いや、なんでもない。仕事中に悪かったな。」
俺は礼をいって電話をきった。

そんなはずはない。
ここから、運送会社までどう考えても時間がかかる。
木村がいるはずがない。
となると、あいつはだれなんだ?
送られた箱を眺めていると、電話がかかってきた。
「もしもし、由真くん?」
すこしがらがらした声が受話器の向こうから聞こえてきた。
「あ、盛岡せんせい。おひさしぶりです。」
「お久しぶりでわるいんだが、きみ、いつからこんな趣味になったのかね?」
どういうことだ?
「あの、なにをおっしゃっているのかよくわらかないんですが。」
「君宛で、作り物の顔とナイフが送られてきたんだが。
きみじゃないのか?」
え?
「いえ、ぼくじゃないですね。」
「そうか、てっきり、きみの作品の『鴉が啼いた日』と同じだったのでね。
そういう遊びをしているのかと思ったよ。」
「あ、どうもすみません。」
俺は、とりあえず電話をきった。
そう、俺が昔書いた作品の中に、鴉が啼いた日というものがある。
これは、殺人がつぎつぎと起きていく上で、現場には「カ」「ラ」「ス」と、
3つの文字がそれぞれに残されていく。
そう、3つの殺人事件がおきるわけだ。
そして、その殺人は、アリバイを作るため、時間を入れ替えるトリック、
つまり、本当は「カ」の次に「ス」の殺人が行われ、最後に「ラ」の事件が起こるわけだが、
この3つの現場に同じにおいを残し、事件に関連性を匂わせ、
この3つの文字から連想される言葉を植え付け、
アリバイをつくるというものであった。
そして、事件で使われた凶器は、自分でもちあるかず、
郵便物としてある場所に送り、あたかもなにもなかったようにするというものだ。
そう、そのときに送るモノこそが、犯行で使われた凶器であるナイフと、
被害者の首であった。

その日の夜のニュースで首なし死体がでたということを俺は知る・・・

げぇ・・・ぅっ・げぇえ・・
「はぁ、はぁ、はぁ、、、」
鏡にうつる顔は、死人のようだ。
その顔をみて、俺はまた吐いた。
眠りにつこうと思うと、急に胸が苦しなって、腹の中で何かがあばれてる。
胃がぐるぐるとかってに動き回ってるような、この苦しさ。
今まで、「死」というものに、あまりに離れたところのにいたのに、
急に昔までひっぱられた気分だ。
テレビのブラウン管を通して、死はそばにあったが、
あくまでもあっちの世界の話。
こっち側にくることは、ないと思っていた。
目を瞑ると、赤い血しぶきが降りかかる。
昔はよくみていた、あの夢。
今日もひさしぶりにみてしまった。

いつのまにか、忘れていた。
俺は、なにに恐怖をしていたのだろう。
ある時、俺は医者になりたいと思った。
いや、狂ってるやつを、できるだけもとに戻したいと。
知らず知らずに、決めたことだと思っていた。
でも、あの夢をなぜみるのかは、今まで忘れていた。
今日は、今までで一番リアルな夢だったのかもしれない。

「まま、これ。」
俺は、ままと呼ばれる女性に花輪を渡した。
「ありがとう。」
ままは、いつも笑顔だった。
彼女も、俺と同じ捨て子だったらしい。
遠くからやってきて、ザインというところにすんでいた。
どうしてままかというと、物心ついたときには、そう呼んでいたからだ。
そう、そこには、俺がちゃんといる。
ガサガサと物音がする。
いままでの涼しげな風が、少し強くなった。
俺のかぶっていた帽子が転がっていった。
急いで拾いにいく。
「気をつけなさい。」
彼女の声を聞いたのは、それが最後。
俺が戻ってくると、血に染まった白い体が横たわっていた。
「まま!まま!」
おれは、ままの体を揺さぶった。
それでも、彼女は、やさしいかおのまま、動かない。
涙がでてきた。
顔を拭いた。
ままの血がべっとり俺の頬を染めた。
おれは、その先になにかをみていた・・・

まま、まま・・・と、俺は繰り返しゆっていたらしい。
近くを通りかかった人が、俺を保護してくれた。
それから、しばらくの間俺は誰とも口をきかなかった。
あのとき、俺はままになにもしてあげられなかった。
そのあとの記憶があまりない。
犯人はすぐに捕まった。
あのときに、もう涙は枯れ果てたと思っていたのに。
苦しい。
げぇえ・・・ぅう・・げぇぇぇえ・・・
「はぁ、はぁ、はぁ・・」
吐いても吐いても、胸が苦しい。
急にすべての死に対して怖くなった。
ナイフ事件、いじめ、人間。。。
心臓をぐっとつかもうとする、俺の手には、力がない。

暗闇が怖い。
その暗闇を感じる目なんていらない。
まわりの音が怖い。
その音が聞こえる耳なんていらない。
部屋の中でうずくまりながら、いろんなことが頭の中を駆けめぐる。
部屋の中でさえ、おちつかない。
だからといって、外にでたいとも思わない。
なにもかもが怖い。
るる・・・
ぷるるる・・・ぷるるる・・・
心臓が止まりそうになった。
部屋の中で電話の音が鳴り響く・・・

その日は、部屋に帰り着いたのが夜11時をすぎたくらいだった。
一日の仕事を終え、くたくたに疲れた俺は、
冷蔵庫からビールをとりだし、ソファーに腰を下ろした。
のどを通る爽快感で、少し生き返った気分がした。
テレビのリモコンをさがし、スイッチをオンにする。
毎日のどうでもいいこと(ニュース)が、画面に流れでる。
暗闇の中、テレビの明かりだけが照らす部屋の中で、
俺は、ぼーっとしていた。
あるニュースが耳にはいってきた。
最初はわからなかった。
少しうとうとしていたのだろう。
頭の中であるビジョンがうかんできた。
夢かな、と俺は思っていた。
ちょっとしたことで、はっと目が覚め、今みていたことを思い出す。
変な夢をみたなと、またビールを少し口にした。
どんな夢かというと、担当の先生が書いたお話がドラマになったような、
そういうもの。
テレビをみると、その続きが流れていた。
夢と現実がリンクしている。
あたまが、まだぼーっとしているのだろう。
またうとうとしはじめた。
だが、時間がたつにつれ、現実のニュースがより鮮明に頭の中でざわついた。
重い瞼をあけると、その現実は、夢ではないことがわかった。

まさか、先生が?
俺は、テレビのニュースに釘付けになった。
ちょうど、そのチャンネルではその事件はおわり、違うこと流していた。
チャンネルをかちかちかえ、さっきの事件を追う。
そんなはずはない。
犯行手口、現場、etc、俺のしってることとうり二つだった。
なぜ俺が先生かと思ったのか、それは、このお話は雑誌に連載しなかった、
未発表作品だったからだ。
一度は完成したお話、でも先生は、途中で心境がかわったのか、
掲載しないといいはじめた。
なぜだかわからないが。
その作品と全く同じだった。
俺は、すぐに先生に電話をした。
ルルル・・・プルルル・・・プルル・・
つながらない。
何度電話してもつながらない。
かれこれ1時間以上はならしている。
先生は、「俺はあまりしばられるのが好きじゃないから」と、携帯はもってない。
どこにいったんだ?
まさか、とは思いながらも、先生から直接話をきかないと、
眠れそうにない。

ブゥゥ・・・ン
車が外に止まる。犬が吠えた。
扉が開く音がする。パリンとガラスが割れた。
人が数人部屋の中に入ってきた。
「由真さんですね、ちょっときてもらいますよ。」
強引に俺の体を外へ連れ出そうとする。
俺の体は、簡単にその場から連れ出された。
意識はある。
ただ、体をうまく操縦できてない。
そこにあるのは、ただの人形。
人間の形をした、人形。

横の男が俺に話しかける。
俺は、あまり意識がなく、とぎれとぎれ耳にはいってきた。
由真さんあの男は罠をはったんですよ、とか、
僕たちが助けにきました、とか。
次に気がついたときは、部屋のなかだった。
「目が覚めましたか?」
あごひげを生やした男が俺に話しかけてきた。
「おまえは、だれだ?俺に何の用がある?」
どうやら、俺は眠っていたようだ。
少しだけ、疲れがとれた。
「あの男の次のターゲットが、あなただということがわかり、
あの場所から連れ出したんです。明け方には警察がかけつけるでしょう。」
どうして俺が?と、質問しようとしたがやめた。
そう、理由はわかっている。
あの話になぞられてるんだ。俺のところに警察がきてもおかしくない。
「しかし、なんでおまえがあの作品をしっているんだ?
あれは、公表してないんだぞ?」
そういった瞬間、おれは理解した。
ああ、そうか。なるほどそこが罠なんだな。
「いや、いい。わかった。」
俺は、しばらく考えた。
自分が作った作品について。

俺の作品、『鴉が啼いた日』は、当初予定通り掲載するはずだった。
たまたま家に訪れた盛岡正寿先生が俺の作品に目を通した。
先生は、ふーっと息をはき、額をハンカチで拭った。
「由真くん、きみこれを出すきか?」
なんとなくいいたいことはわかってた。
「はい、出そうかと思っているんですが。」
「きみ、やめた方がいいよ。これは、殺人マニュアルになってしまう。」
そう、あの作品は、俺が本格的に作品を書いた処女作。
それ故に、あらゆる心理的トリックを使った。
それは、マジックの種がわかっていても、驚かせるかとができるほど、
鮮明なものだった。
俺は、少し迷った。
「まぁ、きみの作品だから、きみの自由にすればいいさ。」
たばこをすいながら、ちょっとさき<未来>を考えた。
俺は、原稿を机の奥へとしまい込んだ。
「日下くん、例の作品はやっぱりなかったことにしてくれ。
その代わり、違う作品を用意しておく。」
俺は、くわえたばこの火をけした。

あれから数日たった。
先生は、みつからない。
警察が、先生の家を出入りしている。
俺にも話をききにきた。
「いや、ぼくにもどこにいったのかわからないんです。」
約束の日にも姿を現さない先生。
「何かわかったら、すぐに連絡してくれ。」
無愛想なおやじが名詞をくれた。
ずるずると、靴を引きずりながら歩いている。
連れの若い男は、辺りを見回して去っていった。
本当に、どこにいったんだ。

俺はしばらく空を見上げていた。といっても、空が見えるわけではない。
家の中の、ソファーに横になり、これからのことを考えていた。
テレビをみると、俺が重要参考人になっている。
そんなことをみても、いまいち実感がない。
また、こちらの世界に戻ってきたのか。
しばらく、胸が苦しかったが、それにもなれてしまった。
時間が解決してくれるというが、本当だな。
どんなに苦しいことも、時がたてばどこかへおいてくることができようだ。
でも、それはなくなったわけじゃなく、ただふたをしているだけ。
いつよみがえるかわからない。永久に忘れることはできないのだろう。

「俺、このままここにいるのか?」
誰も返事をしない。
まぁ、いいか。
ただの独り言だ。
「ここをみつけられるのも時間の問題ですよ。」
ひげの男が部屋にはいってきた。
俺は体を起こし、話しかけた。
「じゃあ、どうするんだ?」
「あいつをみつけだすしかないですね。
すべての証拠が、あなたに目を向けるようにゆっている。
だから、あいつを捕まえてなんとかするしか方法がないでしょう。」
俺は、考えた。
ところであいつって、誰だ?
「矢崎という男です。なんの変哲もない青年です。」
ああ、思い出した。ひょろっとしたやつだったな。
「あいつは確か多重人格だったな。」

「警官がそこを突き止めたそうです。」
ある男が報告にきた。
「相変わらず彼らの仕事は速いな。」
そうつぶやいて、ひげ男は立ち上がった。
「さて、がらをかわすか。」
俺についてこいと目で合図をした。
「大丈夫。みんななれてるんだ。
このくらいで捕まってるようじゃ、一生牢屋で過ごすことになるぞ。」
耳の中にこの言葉が入ってきたが、俺は別のことを考えていた。
いったいなにがあったんだ。
あいつは何者なんだ。
未だなにも見えてない。
ただ、この俺をさらったこいつらに世話になっている。
いったいこれからどうするんだ。
本当にこいつらについていってもいいのだろうか。
敵の存在はわかった。
しかし、こいつらが味方かどうかわからない。
こいつらのいうことが本当だとして、俺は逃げ切れるのか。
いや、逃げることになんの意味がある。
俺は、あのときのように逃げるのか?
唯一自由だけが誰もが手に入れているように思っていたが、
誰かに奪われることになるとは。
「ちょっとまってもらっていいか?」
俺は、電話をかけた。
「どこに電話したんだ?」
「ちょっとしたことだ。」
敵が罠をしかけたのなら、こっちも罠を仕掛けてやる。
俺の力が強いか、あいつの能力が高いか、
思い知らせてやる。
ひさしぶりに頬にあたる風が、俺に生命を吹き込んだ。
「よし、いくぞ。」
トラックに乗り込む。
暗闇に包まれたこの世界は、これから俺が進む道を指し示してるように思えた。
未来は、まだみえない。

セル<失われた自由編> 完

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