ユダ戦記

I am alpha and omega.
我はアルファなり、オメガなり、

the beginning and the end.
いや先なり、いやはてなり、

the first and the last.
始めなり、終わりなり

「ユダ戦記」

私たちには、すむ場所はここしかなかった。
誰にも認められない人たちがあつまるこの場所。
誰にも知られていないひとたち。
ここには、そんな人たちしかいなかった。
社会とか、国とか、そういうものは関係なかった。
ただ、生きていることが、自分であると思ってた。
誰からも、侵されたくなかった。
だから、誰も侵したくなかった。
私たちの存在は、どの国にも属したりしない。
ここにすんでいるのに。同じ国の中でうまれたのに。
ここで生まれた人たちには、出生証明書というものはない。
だから、誰にも認められない・・・

私たち兄弟は、ここに捨てられていた。
生きていけたのは、このなにも力をもたない人たちのおかげだった。
それでも、私たちには、それだけで十分だった。
彼らは、自分たちで自給自足をしていた。
この地域に住んでいる人たちは、外界との接触をたった。
外界からは、こちらのことはわからない。
いや、知りたくもないのだろう。
あるとき、外界からきた一人の男によって、
私たちのリーダーが殺された。
私たちの居場所はなくなってきていた。
外からきた男は、殺したくて殺したわけではないといった。
違うんだ、と。
ただ、私たちの中で問題だったのは、外から客がきたということだ。
もう、どこにも、居場所が、ない。

ここの場所が、少しずつ知れ渡るようになった。
私たちは、国に属さない。闇組織に目を付けられた。
私たちに、くるようにいわれた。
私と、弟は、その申し出を断った。
簡単に、育ての親を殺された。
そのとき、私は感じた。
この人たちは、私たちをモノだと思っていると。
私の中で、ある感情が消えた。
私たち兄弟は、無理矢理そとに連れだされた。
もう、あの場所が今ではどこにあるのか定かではない。

ある中学に入学した。
私たち兄弟の髪の色は、もともと色素が薄く茶色が強かった。
その学校の規則では、髪の色を染めてはならないとあった。
私たちは、染めてはいない。
それでも、ある教師に目を付けられた。
「おまえたち、校則に髪の色を染めるなとかいているだろう?」
なにも悪いことはしていない。
その教師は、わたしたちに暴力を振るってきた。
「おまえたちみたいなやつがいるから、世の中悪くなるんだ」、と。
その教師は、私たち兄弟の根も葉もない噂を、同僚の教師たちに吹聴した。
その話を聞いた、体育教師が授業中に弟の体を傷つけた。
「どうした、剣道で心を鍛えてやる。」
弟は、体のあちこちにあざをつくってきた。
教師というものがどういうものか、わかってきた。
弱い立場のものを、権威をふりかざして、自分の思い通りにさせたいだけだ、と。
髪の毛を染めるな、ではなく、黒髪ではないとだめだと書けばいい。
意味のない校則。
愚かな教師。
私たちは、負けない。

私たちは、なにも信じていません。
信じて裏切られることをおそれているのかもしれません。
でも、より現実的に、生きてきました。
神の存在なんて、そんなことを信じたりはしません。
神に、近い存在の人がいることはしっています。
人の心を操ることができる人たちです。
ある時は、人の心をを魅了し、ある時は、そうでなければならいと、
信じ込ませたりできる人です。
その人たちのことを、絶対なる人だと教えられてきました。
それでも、私たちの住んでた世界には、絶対な人はいませんでした。
また、平等でもありません。
個人個人の能力に応じて、それぞれ生きていきました。
みんな、現実を生きていました。

私たちがいる地区のことを、ある人は窓の外と呼んでいます。
そして、私たちのことを、どぶネズミと呼んでいました。
ネズミというのは、マウス、つまり、匿名という意味の”anonymous”という言葉を、
文字ってつけられたそうです。
私たちは、あまり人の前にはでません。
そこにある能力は、外界、つまり窓の内側の人とは違います。
まれに、私たちの中で、窓の内側に興味をもつ人がいます。
その人は、そこでは「神」と呼ばれています。
しかし、私たちのほとんどは、そういう能力を見せません。
人は、そういった能力を羨望するのと同時に、妬み、忌み嫌うということを、
私たちは知っているからです。
人は、自分をみんなと同じだと、信じていたいのです。
しかし、変化を求めている人たちにとっては、
私たちは、大変な宝でした。
いつのころか、私は、神が自分の意識の中にあることを悟りました。
とても小さく弱い生き物であるのと同時に、とても強いのです。

ある時、気候を知る人がいました。
風や雲の流れ、様々なことをみて予測し、予言していたのです。
ほかの人たちは、そのことを見てはいたのだけど、
観てはいませんでした。
目にうつってはいたのに、頭の中には入っていなかったのです。
彼は、もうすぐ雨が降るといいます。
ほかの人たちは、そのことを知らないので、信じたりはしません。
人は、未知の力を信じようとはしません。
ただ、自分に備わっていないから、と。
彼は、そのあとどうなったのでしょう。
彼をおそれた人たちに、殺されました。
歴史は、悪い部分を消し、美化して語り継がれます。
そのときの、その人たちの行動も、時がたてばあやふやになり、
彼のことは、もともとの存在自体も疑わしい、「神」と呼ばれるようになりました。
でも、わたしたちは、実際に存在するのです。
いま、ここにいます。

教師って、所詮人間です。
生徒を、全部同じだとは思っていません。
教師の好みによって、不公平は、事実存在するのです。
たとえば、教師の好きなタイプの子がいれば、
指導の時も、甘くなるし、接する機会をもとうとします。
私たちのように、嫌いな場合も、あきらかに態度が違います。
教師というのは、特別な存在のようなきもしますが、
結局は、ただの人間だということです。
そもそも、生徒に感情をもたないほうが無理な話です。
私たちは、いろいろな方法をしっています。
窓の外といわれた、あの場所での、一番のテーマは、
自分を知ることでした。
自分を知るということは、相手をも知るということ。
自分がいやなことは、相手もいやなこと。
そのためには、ある一定の基準というものがあるのですが、
そんなことは、簡単なことです。
平均的なことほど、単純なことはありません。

こちらの世界では、不思議なことに、自分ということを知るということが、
あまりに少ないことがわかりました。
自分をしらずに、ある目標をたてたり、
それにむかってがんばるといった、徒労で終わるような、
私からいわせてもらえば、「無駄」な努力を惜しまないといった、
そういうふうにみうけられます。
努力をすれば、願いはかなうと誰かが吹聴してますが、
それは、ある一定のレベルをもっている人のことであって、
だれもがみな、同じ条件ではないということを、私たちは知っています。
たとえば、それは先天的なものであったり、後天的なものであったりします。
自分をしるということは、それほど容易ではありません。
それでも、私たちは、古くからそれを学んできたのです。

わたしは、ある生徒に目を付けました。
そのこは、私たちを目の敵にしている教師にとてもかわいがられているからです。
これを使うのが一番簡単です。
そのこをこちら側にひきこむには、二つの方法があります。
一つは、仲良くなること。もう一つは、脅迫することです。
私たちは、仲良くなることにしました。
そのこは、弟と同じクラスで、すぐに仲良くなれました。
「ねぇ、お願いがあるんだけど。」
そういって、私は、ようこさんにいいました。
もともと、そんな簡単にはいかない話しです。
いざとなれば、脅してやらせるつもりでした。
「いいですよ。らいくんのためなら。」
どうやら、彼女は弟のことが好きなようです。
好きという感情ほど、使えるものはありません。
それ以上に彼女を傷つけなければいいのです。
(傷つけるとしても、少しずつ許容量を広げていけばいいわけですけど。)
彼女は、どういう気持ちで納得したのでしょう。
これで、あの教師はおわります。

「ねぇ」
わたしたちは、名前なんていうものがありませんでした。
そんなものは、必要なかったからです。
だから、私たちは、名前を使ったりはしませんでした。
窓の内側の人たちは、私たちが名前を隠すという意味で、
匿名官とかどぶねずみとかいって騒いでますが、もともとないのです。
「俺、”ray”って名前がきにいった。結局ゼロっていう意味だけどさ。
なにもないということを、言葉でも表してみようかなーって。」
「そう、あなたが気に入ったんなら。」
「じゃーさ、ねーちゃんれいにしないよ。」
「別に、かまわないよ。」
弟は、ちょっと満足そうでした。
外の世界では、そこそこ役に立ちそうです。

ようこさん、お願いね。
すべては、計画通りに進みました。
まず、ようこさんに、あの教師を呼び出させました。
教師は、いわれた時刻にやってきました。
「どうした?山野。」
遠くでその光景をみていましたが、
顔がにたにたしています。
夕方のこの時間になると、さすがに生徒はいないようで、
学校に残っているのは、たぶん私たちだけのようです。
「せんせい。」
ようこさんは、ゆっくりと制服を脱ぎ始めました。
暗闇に照らされたようこさんの体は、
なぜか妖しく感じられました。
次に、ようこさんが「せんせい」というと同時に、
教師は、ようこさんを抱きしめました。
「山野」
カシャ・・・カシャ・・
フラッシュ音とともに、その歪な光景はカメラにおさめられました。
教師が振り向き、私たちの顔をみると、すぐには理解できない様子で、
呆然とその場にたっていました。
「さよなら」
夜の理科室は、孤独を味わうにはもってこいです。

力のないものができること。
自分が力をもつこと。
そうすれば、相手より強くなれる。
簡単に力を手に入れるには?
もっと力のある人を見方につければいい。
虎の威を借る狐?
使えるものを最大限に使うことが、力の使い方。
その使い方さえわかれば、自分にそれ以上の力はいらない。
コンコン
「はい。」
わたしは、校長に無能教師の醜態をみせつけた。
校長は、それをみると、「なにが望みなんだ?」といいつつ、
低姿勢で私の言葉をまっていた。
「こいつ、くびにしてくれません?」
校長は、なんなく受け入れてくれた。
そりゃそうだ。しょせん校長も、世間という大きな力には勝てない。
ネガもくれといっていたけど、それはまたあとで。
「大人って、約束やぶる人が多いですから。」

次の日から、あの教師をみることはなかった。
それでも、学校は、いつも通り。
まるで、なにもなかったかのように。
悪いことは、いつも隠し、
いいことだけは、おおっぴらにする場所。
社会にでると、それはまったく逆のこととなり、
悪いことだけを、多くとりあげ、
いいことは、ほとんどとりあえげないマスコミ。
しょうがない。
これが、世の中のニーズなのだから。

未来のことが見えるときがある。
未来は、情報の中で一番価値のある情報。
未来ってなに?
自分の一生は、運命によって決められるのか、
それとも、生まれる以前に作られた道(計画)によってなされているだけなのか。
何かの拍子で、先がみえることがある、
つまり、未来を知ることができるとすれば、
それは、やはり決められた道を、ただわたしたちがあるいているだけなのかもしれない。
そんなさきのことを知ることは、つまらない。
知るってことは、そういうこと。
知らないほうが、楽しみはいくらでもある。
そう、それは、小さい子供のように。

近くの道は、いつもビジョンとして現れる。
あの計画を立てたときからわかってた。
結果からみれば、だれもが納得するだろう。
あの教師がわたしたちに復讐にきたのだ。
「おまえたちのせいで・・・」と、暗闇に照らされたその表情は、
人を殺すことを、何とも思わない様子で、片手に包丁をもっていた。
「もう、おれにはなにもない。」
襲いかかってくることは、前からわかってた。
わたしたちに特別な能力があるとしたら、そういうところかもしれない。
「きゃー、だれかー。たすけてー。」
わたしは、わざと怖がるフリをした。
そうすれば、やってくる。
今、近くを通りかかっている警官が。

巡回中の警官は、ようこさんにまかせておいた。
わたしは、助けを求めながら、教師の包丁の方へと近づいた。
「何をしている!」と、警官が近寄ってくる。
教師は、我に返り、ことの重大さに気づく。
その一瞬の隙を、わたしはみのがさない。
「きゃぁ」といい、わたしは、自分から包丁で腕を傷つけた。
足下から崩れ落ちる。
もう、教師に何が起こっているのか、判断する余地はない。

生徒に厳しくする教師ほど、私生活は寂しいものだ。
女性からは、蔑視され、男性からは、避けられる。
悪循環は続き、挙げ句の果てに、教師としての「力」でしか、
自分を維持できなくなる。
ダメ人間。
わたしたちにあわなければ、その「力」も使えたのに。
そう。私は、彼の唯一無二の生きる糧、「力」を奪ってあげた。
この世は弱肉強食。
力を使ってくるのなら、こちらも力を使うだけ。
ばかな教師に、「力」は必要ないのだから。

もう一人の教師は、自分も学校にいられなくなるということに、
まだ気づいていませんでした。
悪の目は、一つ残らず排除しないと、
また、同じようなことは起こるものです。
誰かのために、じゃなく、自分のためにするのです。
だれもがもってること、それは、自分のことを考えることです。
みんなが、自分のことを考えることが、みんなのためになることもあるのです。
そのときは、よかったね、と思ってもいいですよ。
だからって、わざわざみんなのためにだなんて、働きません。
いえ、むしろ、みんなのためにすることは、
みんなのためにならないことが多いのです。

満員電車って、体が近くに寄ってきます。
ぎゅうぎゅうに人混みにもまれると、たまに体を触ってくる人がいます。
人の体を触ることの、どこがいいのか私にはわかりません。
らいに、「そういうことしたい?」とききましたが、
「好きな人なら、したいかも。」といっていました。
「そうね。」
私には、人の体を触ることが、そんなにいいものか、
そういう人の思考はよくわかりません。
それでも、そういう人は多くいるようです。
まわりでも、「今日、変なオヤジにさわられたー。」って、
ゆってる子が多いんです。
「気持ちわるい~。」って。
そうですね、気持ち悪い。
でも、そういう人がいるから、こういうこともできたわけです。

ハンターっていう職業があります。
あまり知られていませんけど。
狩るものと狩られるもの。
狩るという意味では、狩られるものよりも自由です。
狩られるものは、どこにいても休まる暇がありません。
狩るものは、相手がどんな時でも関係なく、
「隙」をみせたときに狩ればいいのです。
それは、100%自分がしとめることができる時に。
自分が100%有利な時に。
狩るものと狩られるもの、その心境は雲泥の差です。
わたしは、ハンター。
あなたを逃がさない。

私は、教師のあとをつけました。
電車に乗り込むまで。
私のテリトリーに入り込むまで。
通勤時間、放課後、休日。
そんなに長くはかかりませんでした。
ある日、教師は、電車に乗り込みました。
もう、わたしは、いつでも彼を狩ることができます。
わたしは、一緒にのりあわせ、ふつうにとなりに座りました。
一応、化粧をして、わたしだとわからないようにしておきました。
教師の家は調べています。
あと、5駅は大丈夫。
ゆっくりと時間は流れていきます。
これで、あなたも終わりです。

ガタタン・・・ガタタン・・・
電車はゆれます。
悪いのは、こういう空間なのかもしれません。
それとも、人間の暗い闇の部分がそうさせるのか。
密室というものは、人を狂わせるのかもしれません。
この不思議な空気の中、私たちは進んでいます。
歩けば時間がかかる。電車ならその時間を短縮できる。
早い乗り物に乗れば、それだけ時間を短縮できる。
それは、タイムマシーンのようにも思えます。
それでは、歩いた人はどうなっているのか。
その時間を、十分楽しんでるんでしょう。
景色をみたり、街の声を聞いたり、動物をみたり。
その空気は、自分がいま、ここにいるということを、
はっきりと表しているのかもしれません。
わたしは、思います。
みんな、なにをあわてているのだろうって。

早いものは、ますます増えてきました。
電車、新幹線、飛行機・・・
とどまることはないでしょう。
なにをあわてているのでしょう。
きっと、いき急ぐ人には、ゆっくりいくということのよさは、
わからないでしょう。
そんなに急いで、なにをしたいの?
急いでも、それほど変わるわけではありません。
なにかを「得る」といことは、その代償として、
必ずなにかを「失っている」のですから。
なにを失っているか、あなたにはみつけることができますか?

人の行き来は、ほんの一瞬です。
まるで、わたしの人生のエキストラのように、
もう、二度と出会うこともないでしょう。
いや、むしろ、出会っていても、人として認識することは皆無です。
私の中で、登場させるということは、
もしかしたら、私がそういうふうに、作らなければならないのかもしれません。
そう、まわりはみんなエキストラ。
これから、私がすることも、なにも感じないでしょう。

「だれか、この人痴漢です。」
私は、彼の手をとり、大きな声で叫びました。
一瞬にして、あたりがざわついてきました。
まわりでは、ヒソヒソ話しています。
本人は、違うと否定してます。
「どうしました?」と、駅員さんがやってきてくれました。
「この人が、私の身体を触ったんです。」
「いえ、や、ち、ちがいます。わたしはそんなことしてません。」
「ちょっといいですか?」と、駅員さんにつれられ、
私たちは、次の駅で降りました。

不思議なことに、この世界は、正直が報われるということは、
あまりないように思います。
正直なのはいいことだ、と、きっと小さい頃からそういう躾を、
わたしたちはうけているはずなのに。
借りたものは、ちゃんと返しましょうね、という言葉も、
世間一般ではよく使われていると思います。
それでも、大人というものは・・・
なにを、「善」と考えているのでしょう。
なにが、「悪」というものなのでしょう。
正直が損をする世の中。
ちゃんと働くということが、世の中のためであるはずなのに。
それを悪用する人もいる。
借りたものを、返せと請求すると、
まるで、貸した人を悪い人のような目でみる。
勘違いしてはいけません。返さないものが悪いのです。
それでも、簡単に、物事の本質を変えようとします。
借りたまま返さない。
それは、いいことですか?悪いことですか?

たまに、駐車違反でキップを切られる人がいます。
きっと、自分が悪いのに、なぜ自分だけ?って思いません?
ほかの人もとりしまってよ、ほら、ここだってだめじゃん。
昨日は悪くて、今日はいいの?
取り締まるんなら、毎日取り締まってよ。
ほんのちっちゃいことに目を向ければ、
この意見は正しいのかもしれない。
規則性、継続性など、そういう原則がもともとあるのなら。
でも、大きな目で、自分の立場を考えてみる。
そうすれば、きっとわかる。
自分が悪いということに。

わたしは、彼が中途半端な「まじめ」な人だということを知っていました。
そう、それは、嘘の罪を認めることはできない人。
でも、いつもは悪ぶってる。
嘘の罪なんて、誰もがみとめない。
ふつうに考えれば、当たり前のこと。
そうです。
でも、その小さい部分だけを考えるのではなく、
その先にあることをもし考えることができれば、
きっと、どちらを選択すべきかは、自ずとわかるはずです。
もし、それが自分のためになるのなら。

警察の人がきました。
「いいたいことがあるなら、署まで・・・」と、
彼は自分が無実だといいながら、任意で警察署まで赴きました。
彼は、わかっていません。
もう遅いということを。
手遅れなんです。
ここ、そう、駅で問題を解決しなかったことを。

現状では、痴漢をしていないということを証明するのは、
限りなく難しいのです。
それは、誰だってわかってる。
でも、自分は違うと認めない。
違うという証拠を見つけない限り、
誰も信じてくれない。
彼は、そのあと拘留されました。
もう、まともに働いてなんていられません。
まわりの目は、「痴漢」という目でしかみないのだから。

恨まれるということをおそれていては、私たちはなにもできない。
何かをするときは、その「する」という行動に、周りも変化する。
だから、なにも変えずに、ただ何かだけを変化させることはできない。
始まりがあるから、終わりがついてくる。
だからって、その終わり方を決めるのは、自分だけなんだ。
そう、それが私ができる唯一のこと。
いろんな影響をうけて、いろんな方向へと流れていく自分がいる。
でも、最終的にいる場所。そこが自分の選んだ道だと思えること。
それは、すべてにおいて、「自分」の意志を尊重することなんだ。
一番してはいけないこと、それは中途半端な決断。
周りに流されて起こす行動。
そう思うより、周りに流されることを、自分の決断だとちゃんと割り切らなければ、
そして、その結果まで、自分で責任をとならいと、
自分が自分でいられなくなってしまう。

わたしたちは、戦う。

自分を信じて。

自分が自分であるために。

ユダ戦記編 完

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