二人は、私が小さいときに亡くなりました。
私の大好きな、お爺さんとおばあさん。
今では、ほとんど覚えていませんが・・・お爺さんは、とてもおばあさんを愛していたんだと思います。
いつも寄り添うように暮らしていました。
でも、おばあさんが先に天国へ逝ってしまったんです。
だから、お爺さんは寂しかったんだと思います。
おばあさんが亡くなって、しばらくしてすぐにお爺さんも亡くなってしまいました。
50年もの間、付き添った二人。
私が、そんなお爺さんが最後に叫んだ言葉を聞いたとき、
二人の愛の深さを知りました。
お爺さんは、こう叫んだそうです。
「百合絵」、と。
そう、百合絵とはおばあさんの名前です。
お爺さんは、亡くなる間際に、きっとおばあさんに会えたんだと思います。
そんな幸せは、他にはないんじゃないでしょうか。
話は遡って、おばあさんがまだ元気な時のことをお話しますね。
おばあさんが買い物袋を抱えて帰ってくると、
お爺さんは、何も言わずに手を差し出したといいます。
雨が降って、駅前で雨宿りしている時も、
お爺さんは傘を一本てにとって、駅前まで迎えにいったといいます。
きっと、相々傘で帰りたかったんじゃないかなと思います。
そんなおばあさんも、病気になってしまい、寝込んでしまうようになりました。
そんなおばあさんを、お爺さんはつきっきりで看病していたそうです。
ある日、私がおばあさんのお見舞いにきたとき、
みてはいけないものを観てしまいました。
私は、慌てて扉を閉めて、今見たことを思い出しました。
そして、急いでその場から立ち去りました。
今思うとそんなことで、と思うかもしれませんが、
小さい子供の時分にとっては、衝撃的な光景でした。
そう、それは、お爺さんが、おばあさんにキスをしていたんだと思います。
私は、子供ながらにビックリして、また身内だったからなのかもしれませんが、
とてもみてはいけないものをみてしまった罪悪感だけが残ってしまいました。
それから、間もなくおばあさんは亡くなりました。
私は、おばあさんの葬儀に参列しましたが、
そのことがあって、まともにおばあさんの顔を見ることができませんでした。
眼を合わせないように、手を合わせ、そっとその場から立ち去りました。
もちろん、おじいさんの顔も直視することなどできません。
私が見ていたことを気付かれたくなかったからです。
だから、私は素っ気無く振舞っていました。
まだ、幼かったからでしょう、そんな態度をとっても、
大人たちは別になんとも思いませんでした。
そして、私は今、大人になりもうすぐ新しい家族を迎えようとしています。
私の中に眠っている、お爺さんとおばあさんの秘密。
なんとなく、後ろめたさがありましたが、実はすっかり忘れてしまっていました。
イイコトだけが微かに思い出せる、お爺さんとおばあさんの記憶。
そう、二人が愛し合っていた、その事実だけが、
私にはなぜか鮮明に思い出せる数少ない記憶でした。
最近、そんなことを思いながら、なんとなく塞ぎこんでいました。
窓の外は晴れ晴れとした天気なのに、
私の心は、どんよりと曇っていました。
やっと、私も、あのお爺さんとおばあさんのように、
仲の良い人生の伴侶をみつけたというのに。
もしかしたら、これがマリッジブルーというのかもしれません。
私は、久しぶりにお爺さんとおばあさんのお墓参りに行くことにしました。
そこで、私はふとあることに気がつきました。
墓標には、おばあさんの名前しかありません。
私は、てっきりおじいさんの名前もそこに「ある」ものだと思っていました。
あんなに愛し合っていた二人なのに。
亡くなってあとに、離れ離れになるなんて・・・
私は、急いで家に戻り、母親にそのことを尋ねました。
しかし、母親は顔色が悪くなり、何もしゃべりませんでした。
「あなたは知らなくていいのよ」、ただそういうばかりでした。
私は、押入れや倉庫を探して、
おじいさんに関するものを探しました。
そして、一枚の写真をみつけました。
私は、その写真をみたときに、体中の毛穴がぶつぶつと沸き立ちました。
そして、私の微かな記憶を、誰かに強引にこじ開けられる錯覚に陥りました。
私は、その場で嘔吐しました。
誰にもいえない、あのことを、私は思い出してしまったんです。
そう、誰にもいえない、あのことを。
私は、あの時、あの子供ながらに見てはいけないものを見た時に、
実は、声も聞いていたんです。
あのときは、そんなことよりも、キスの方が衝撃的で、
すっかり忘れていた、いや忘れようとしていたというほうが正しいかもしれません、
あの時の声を、今しっかりと思い出しました。
おじいさんは、おばあさんの頬に顔を近づけ、
(わたしが見てしまったので、すぐにその場をたちさろうとした丁度その時)
おじいさんは、おばあさんにこういっていました。
「おまえのことなんか、今まで一度だって愛したことなんかねえよ。」
そのすぐ後に、おばあさんは亡くなりました。
そして、その後すぐおじいさんは亡くなりました。
電車にはねられて。
私が手にした写真には、恐怖で引きつっているおじいさんの顔が映っていました。
そういえば、私はおじいさんの葬儀に参列した記憶がありません。
最後におじいさんが叫んだ言葉が、
私の頭の中で鮮明によみがえりました。
「ゆりえ」